古代文字って?▼ 第4回 春分

2015年3月21日

 「春分」とは、春に太陽が真東から昇り、真西に沈む日のことで、昼と夜が同じ長さになります。
 また春分の日を中日に前後3日を含めて7日間が春のお彼岸です。先祖の霊を供養する仏事が行なわれます。日本では、古来よりこの頃に農事始の神祭をしていたようです。

 今回の古代文字は、昼を代表して「陽」、そして夜の代表ということで「闇」という文字を取り上げます。

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「陽」 甲骨文字

 右部の「昜」は、台の上に霊力を持つ玉(日)を置き、その玉光が下方に放射する形です。
 玉光には人の精気を盛んにし、豊かにする魂振(たまぶ)りの働きがあるとされました。

 左部の「阝」は、神が天に陟(のぼ)り降りされるときに使う神の梯の形をあらわします。

 「陽」の文字は、その神梯の前に玉を置き、神の威光を示す文字です。

 「陽」の下方は
『恙(つつが)ない一日でありますように』
ご来光を拝みながら浮かんでくるのは、この文言以外にありません。

 古代の人々も、昇る太陽に同じ祈りを捧げたのだと思います。

 「春分の日」で思い浮かぶのは、世界遺産であるチチェン・イツァ(マヤ文明の古代都市遺跡)にあるククルカンの神殿です。
 中央アメリカのユカタン半島からグアテマラ、ホンジュラスに栄えたマヤ文明は優れた暦法、数学、絵文字など高度な都市文明で太陽の動きを観測し、巨大で特殊な建造物を建てました。
 この建造物(神殿)には暦が刻まれているだけでなく、度肝を抜く仕掛けがあります。それは「春分の日」「秋分の日」に太陽が沈むとき、このピラミッド形の神殿は真西から照らされ、神殿にある階段の西側にククルカン(羽毛のある蛇)の胴体が現れるのです。
 自然が演出する壮大な舞台! 実際に現地を訪れたことはありませんが、映像で見るだけでも圧巻です。

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「闇」 甲骨文字

 

 「門」と「音」から構成される文字です。
「門」は神棚の両開きの扉のこと。
また「音」は「言」という文字の「口」の部分に「一」を追加した形です。

 「口」は正しくは「さい」ですが、「さい」については、文末でもう少し詳しく説明します。

「言」は神に、誓い祈る祝詞を入れた器である「さい」の上に、『もし偽り欺くことがあれば入れ墨の刑罰を受ける』という意味で、入れ墨用の針(辛)を立てている形であり、神に誓って祈る言葉をいいます。

 この祈りに神が反応する時は、夜中の静けさのなか、「さい」の中にかすかな音を立てます。その音のひびきは「さい」の中に横線の「一」を書いて示され、「音」の字となります。「音」とは神が「音ない」(音を立てること、訪れること)であり、音によって示される神意、神のお告げであります。

 神棚の両開きの扉(門)の前の「さい」の中から夜更けに神の訪れ ( 『O TO ZU RE』 )の音がすることを「闇」といいました。

昔は市街地も今ほど明るくなく、郊外に行けば神々が往来なさる「闇」もいたるところにあったように思います。

 現代では防犯上の問題もあり、街灯も増え繁華街のネオンやコンビニの明かりなどなど街自体が眠らなくなり明るすぎます。神々が棲むにふさわしい闇は極端に少なくなり、自由な往来も阻まれてさぞや閉口なさっていることでしょう。

 そして街が明るくなるとともに、私たちは見えざるものへの畏怖と祈りを忘れているのかもしれません。

は「口」の形です。しかし、甲骨文字や金文には、この形が人の口とみられる明確な使用例ありません。
 そのようなことから甲骨文字や金文の時代、この「さい」という文字は神への祈りの文である祝詞を入れる器の形のであると考えられています。


 春分を過ぎて明日からだんだんと日が長くなります。これからたくさん活動できそうですね。
一日一日を大切に・・・
それでは次回は4月5日「清明」の頃に