2015年12月7日
「大雪」とは、本格的に雪が降り積もるころのことです。冬将軍が猛威をふるい、いよいよ真冬の始まりです。
時の流れが、日々加速度を増し、ひと月ごとのカレンダーは、うらやましい哉、どんどんスリムに・・・ついに最後の1枚になりました。先生やお坊さんでなくても、なんとなく走らなければならないような気になる師走です。
出身の南九州では真冬でもめったに雪が降ることがなかったのですが、小学生高学年の頃、南国にしては驚くほどたくさん降り積もった年がありました。そんな時は、授業時間を返上し、全学年校庭に出て雪遊びをさせてもらいました。校長先生のご英断だったのでしょうね。初めて作る雪だるまは、ずっと解けずにいてほしいと思い、また雪合戦でぶつけられた雪の塊が背中に入って時間が経つにつれて冷たく寒かったこと、などなど代えがたい思い出になっています。
今でも雪が羽のような形をして空から舞ってくると、とてもロマンチックな気分になりますが、雪国の方にとっては、冬になると朝は雪下ろしから始まり、過酷な日常が続くのですね。また綿菓子のようにふわりとした印象の積雪も、実はとんでもない重さで家屋さえ押し潰してしまうこともあります。人は自然の猛威には勝てません。侮ることなく備えをしなければいけませんね。穏やかな冬の到来でありますように。
今日取り上げる文字は、師走の「師」と真冬の始まりの「始」です。
「師」 金 文
第11回の「祭」の文字にも祭壇に供える肉が出てきましたが、「祭」の文字に出てくる肉は1枚の肉です。
この「𠂤」は作品でわかるように2枚の肉です。また、軍の駐屯地では壇を作ってその上に肉を安置しました。作戦上、軍が分かれて行動する際には、この肉を切り分けて携えて行動しました。肉は軍の守護霊ですから、出征中必ず携えなければならなかったようです。このとき切り分けるのに使うのが、右部の血止めの付いた刀です。肉を切る権限を持っているものが「師」で「軍長、将軍」をいいます。
その「師」には、氏族の長老があたり、引退後は、氏族の指導者として若者の教育にあたりました。そのため、師は「せんせい」の意味にも使われます。
「始」 金 文
「耜(すき)」、「女」、祝詞を入れる器の「口(さい)」を組み合わせた形です。
またまた出てきました「さい」、第4回の春分編で説明しましたね。
(もう一度「さい」の説明を見るにはこちらを)
「台」は、農耕の開始にあたって行う、「さい」を供えて神に祈り、耜を祓い清める儀礼をいいます。
農具は清めてから使用しなければ、秋に虫が発生して農作物を食べてしまうと考えられていました。人の出生は作物の生産と対応するものと考えられ、耜を清める儀礼が、出産にあたって行う生子儀礼としても行われ、女子が耜の形を表している「ム」と「さい」とをもって出産の無事を祈ることを「始」といいます。それで出生することを「始」といい、「はじめる、はじまる、はじめ」の意味になります。
古代人にとって、出産はもちろんのこと、農作物の収穫は、ともに生にとって切実な問題だったはずです。
直接的に命を繋ぐための収穫はもちろん欠かすことのできないことですが、出産に関しても現代とまったく状況が違いますから出産時に命をおとすことも珍しくなかったことでしょう。日本の古代のことになりますが、妊婦をかたどった土偶や、出産の状態を表した土器、乳幼児の骨や胎盤を入れたと思われる甕、新生児の骨を入れたと考えられる、母親をかたどった土偶状の容器も数多く出土しています。これらのことからも、出産にかかわる命の危険がいかに大きく、またそれをのりこえるために古代人が必死に祈っていたことがわかります。
作品は、2015年の個展「はじまりのとき」のものです。
『ここから 始 まる』、人との出会い、物との出会い、場所との出会い・・・出会いこそが全てのはじまりであり、いつもここからが始まりであるという思いの一点です。
この時期は、忘年会など何かと楽しい集いも増えますし、また歳のうちに済ませておきたいことも多くあります。寒い中での活動ですので、風邪などひかないよう体調管理をしっかりしておきたいものです。
次回は、12月22日「冬至」の頃に・・・