古代文字って?▼ 第23回 小寒

2016年1月6日

 「小寒」とは、一年中でいちばん厳しい寒さのはじまり、寒の入りのことです。立春の寒の明けまでを寒の内といいます。

 寒の時期をひかえながら、とても暖かくおだやかなお正月でした。初夢はみましたか?室町時代のころからの風習で、七福神の乗った宝船の絵に「「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな(長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな)」という回文の歌を書いたものを枕の下に入れて寝ると、よい夢をみるとされていたようです。古人たちは、なんと風流だったのでしょう。そういえば、青春時代に、好きな人の写真を枕の下に敷いて寝たら、その人の夢をみられる・・・という言い伝えがあったような・・・人の願う心は、時代が変化してもあまり変わらないようですね。

 七福神といえば、今年の初詣は大阪七福神めぐりをしてきました。四天王寺の布袋尊、今宮戎神社の恵比寿大神、大國主神社の日出大国神、大乗坊の毘沙門天、法案寺の弁財天、長久寺の福禄寿、三光神社の寿老人と、3時間ほどかけてのんびりウォーキングし七つの神社仏閣を廻りました。
 大阪七福神めぐりは、江戸時代にこのあたりで商いをしていた大阪の町人たちが互いの氏神さんや信仰寺の情報を交換する中で自然発生的に生まれた風習でしたが、いつのまにか途絶えてしまい、大正時代になって再び復活したとのことです。
 例年と違い、複数の神社仏閣を廻ったのでたくさんの福をいただいた気がしています。

 今日取り上げる文字は、おめでたい新年にちなんで、「吉」と「福」です。

20160106_kichi

「吉」 甲骨文字

 「士」と「口(さい)」とを組み合わせた形です。

 「士」は小さな鉞(まさかり)の頭部を下に向けた形ですが、鉞には邪悪なものを追い払う力があると考えられていたようです。

 「さい」は、たびたび出てきています、神への祈りの文である祝詞を入れる器の形です。祝詞には神への願い事を実現させる働きがあると考えられていたので、「さい」の上に神聖な鉞を置いて、祈りの効果を守ることを示しています。鉞によって祈りの効果がよい状態になると、祈りが実現して人々は幸せになり、めでたくなるので、「吉」には「よい、しあわせ、めでたい」という意味があります。

 作品は、2012年の個展「雪待月のころに」のものです。
   『吉  よいことあるごとし』
 おめでたい雰囲気を醸すよう、金のマットに朱塗りの縁で仕上げました。

20160106_gofuku

「福」 甲骨文字

 

 「畐(ふく)」と「示」を組み合わせた形です。

 「畐」は酒樽のように器のお腹の部分が膨らんだ器の形、「示」は神を祭るときにお供え物を載せる祭卓の形ですので、神前に酒樽を供えて祭る形を表している文字です。

 神前に酒樽を供えて祭り、幸いを求めることを「福」といい、「さいわい、神のたすけ、たすけ」の意味に用います。このように祭ることによって、神から幸いが与えられると考えられていて、ひもろぎ(神に供える肉や米など)も「福」といい、これを同族の間で分けることを致福というようです。神に供えた物を分けるのは、神の福禄、つまり幸いが与えられるからです。現代でいうところの「直会(なおらい)」でしょう。

 人は文明の発達とともに便利さのあまり、忘れ物をし、驕ってしまいがちですが、やはり神の御前ではとても謙虚になりますね。新年には初詣に行きますし、いろいろな場面で願掛けもします。何千年も同じことを続けてきています。

 作品は、2015年の個展「はじまりのとき」のものです。
 新年ですので、「五福」です。五福とは、長寿、富貴、健康、徳を好むこと、天寿を全うすること、「五つの福」が天上から舞い降りてくるようなイメージで配しました。

 文字がまだ統一されていない時代の文字ですので、いろいろな形があります。酒樽の形も違いますし、祭卓を表す「示」の位置も右にあったり、左にあったりいろいろです。下方の「福」の文字には、左右の手が書かれていて、酒樽を大事そうに抱え、まさに神に捧げようとしています。

 新しい一年に、たくさんの福がおとずれますように・・・


 年が明けて、おせち料理に初詣、初夢、凧揚げ・・・三が日はあっという間に過ぎました。そして、明日は松飾りを取り外し、七草がゆをいただいて、来週は鏡開き、ぜんざいと、いろいろなならわしがあり、一年中でいちばん日本人であることを意識する季節ではないでしょうか。その行事のひとつひとつに由来があり、また無病息災への願いが込められています。先人たちの知恵と愛情が感じられ、あらためて敬服します。
 今年が、穏やかなよい年でありますように。

次回は、ついに最後の節気、1月21日「大寒」の頃に・・・