古代文字って?▼ 第18回 霜降

2015年10月24日

 「霜降」とは、朝夕ぐっと冷え込み霜が降りるころのことです。

 猛暑日、熱中症・・・と連呼されていたあの夏の日が夢だったかのように、今はとても過ごしやすいいい季節です。山々は、色鮮やかに染まり、紅葉狩へと心が逸りますね。
芸術の秋、スポーツの秋、読書の秋・・・それに食欲の秋、秋もたけなわです。大いに楽しみたいと思う今日この頃です。

 第16回で中秋の名月、十五夜の話をしましたが、日本では中秋の名月だけでなく、翌月の十三夜も「後の月」として鑑賞します。この二つの名月を「二夜(ふたよ)の月」といい、両方鑑賞するのが良いとされています。地方によっては、片方だけしか見ないことは「片見月」といって忌み嫌う風習があるようです。折しも収穫期を迎え、それぞれにお供えする供物の名をとって、十五夜の月を「芋名月」、十三夜の月を「栗名月」ともよびます。両方の月を鑑賞する風習は、ある年の九月十三日の夜、たまたま月を愛でていた宇多天皇が、「名月」と絶賛した故事によるという説があります。

 今回取り上げる文字は、「栗」と、この季節ついつい旺盛になってしまう「食」です。

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「栗」 甲骨文字

 ごらんの通り、説明するまでもなく、木の上に実をつけている栗の形そのままです。イガに触れるととても痛そうです。3個のそれぞれの実に付いているイガらしき線が同じ本数でなく、3本、4本、5本と変化を持たせてあるのがおもしろいですね。文字が統一されていない時代ですので、イガの本数もさまざま、色々な形で書かれています。

 この文字を目にしたとたん、子供の頃に見たことのある新聞連載の4コマ漫画「クリちゃん」を思い出しました。可愛らしい顔のクリちゃん、頭のイガは何本だったのか・・・???

 ちなみに、日本において栗は縄文時代から食材としてはもちろんのこと、木材としてたくさん使われていたようです。
 青森の三内丸山遺跡に復元された、大型掘立柱建物の大きな6本の柱にも栗材が使われています。別な遺跡の調査でも丸太を半割にして円形に並べたウッドサークルや住居跡、木の器など、ほとんどで栗材が使われていたようです。これは、栗が比較的成長が早く、安定して実ができること、腐りにくく、割りやすくて加工がしやすいことが理由として考えられるようです。
 また、住居跡の炉から出てくる炭は、ほとんどが栗で燃料としても活用されていたようです。縄文人は、食料と同時に木材として活用し、その後は燃料として使い切る無駄のない大変エコロジーな生活を送っていたのがわかります。現代人のひとりとしては、大変敬服します。

 また、この季節には栗だけでなく、ドングリ、クヌギ、ナラ、カシの木の実などいろいろあります。木の実は渋みがあってそのままでは食べられないものが多くありますが、縄文の人々は、しっかりとドングリの渋抜きをして調理していたようです。遺物のなかにはドングリを加工するのに使ったであろう大きな石皿やすり石などもあり、住居の炉からは、黒こげ状態のパンらしきものがよく出てくるといいます。これらから、ドングリを主食にしていたのは確実とみられています。

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「食」 甲骨文字

 

 器の形である「皀(きゅう)」の上に蓋をした形が「食」という文字です。

 食は食器の中の「たべもの」の意味となり、またたべものを「くう、たべる」の意味になります。たべることによって人体を養うので「やしなう」の意味もあります。

 ちなみに、その「皀」に「卩(せつ)」を加えると「即」(卽)です。「卩」は、人が跪いて座る形ですから、「即」は、食膳の前に人が跪いて座っている形になります。そこから、食事の席に即く意味になり、さらに食事の席だけでなく、位につくなど、あらゆるものに「つく」という意味に使われるようになりました。

 「即席」という言葉は、もともと「席に即く」という意味でしたが、「その場」の意味になり、さらに「その場ですぐにすること」「ただちに」の意味になりました。
 ですが、食事はしっかり席に即いて、ゆっくりいただきたいですね。

 他にも、食器の前に座って食事の席に即くことに関係する文字に「郷」や「卿」があります。

「郷」は、第12回で説明しましたね。
「卿」については、また機会があればふれたいと思います。


 立春から始まりましたこの「古代文字って?」も今回で四分の三が終わりました。余すところ冬の季節のみです。これから、だんだんと寒くなってきます。紅葉狩には、冷えないよう身づくろいをして・・・

次回は11月8日「立冬」の頃に・・・