古代文字って?▼ 第17回 寒露

2015年10月8日

 「寒露」とは、露が冷たく感じられてくるころのことです。空気が澄み渡り、夜空には冴え冴えとした月影、そして満天の星・・・

 この頃から一気に秋が深まり、山々は紅葉が色を重ね、まさしく「山粧(よそお)う」季節を迎えます。また、各地で五穀豊穣に感謝して秋のお祭りが催されるのもちょうどこの時期です。

 今回は、お祭りに因んだ二文字、「尊」と「喜」を取り上げます。

「尊」  甲骨文字

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 が元の文字、「酋(しゅう)」と「寸(手)」とを組み合わせた形です。

 

 現代の文字の下方にある「寸」は、片手を表している文字ですが、甲骨文字では(金文も)下の通り左右の両手が書かれています。大切なものを両手で捧げ持っている様子が目に浮かぶようです。

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 捧げるお方は、もちろん神様です。片手ではありえませんね。

 「酋」は、酉(酒樽の形)から酒気のあらわれている形です。上部の「八」は、酒気の発することを示しています。「尊」は、その酒樽を両手で捧げて神前に置く形になります。

 「尊」を「たっとぶ、とうとい、とうとぶ」の意味に用いますが、それは酒樽を賜うことによって位階の順序が定められたからであろうと考えられています。

 作品は、2011年の個展「ムラマツリ」のもので、「秋分」の項でお伝えしましたように「秋」「豊」と並んで「ムラマツリ」の三部作の一点です。

 収穫を終えた縄文のムラのマツリに思いを馳せて創作しました。溢れんばかりに土器に盛られた肉、魚、豆、黍、茸、栗、ヤマブドウ、そしてお酒・・・
 たくさんの収穫物が供えられた祭壇の前にムラビトたちが集合し、神様へ感謝の気持ちをお伝えする場面です。
 今年は、たくさんの食料を得られましたが、来年も同じようにいただけるという約束はありません。それだけに、見えぬもの(神様、自然)への畏怖の念は強く「おかげさまで生きられている」という感謝の気持ちは限りないものだったことでしょう。

ムラビトを代表してムラの長老が言います・・・『コトシモ タクサンノ ヤマノサチ ウミノサチヲ オアタエクダサリ アリガトウゴザイマス ワタシタチノ カンシャノ ココロヲ ササゲマス』

原始的に表現するために割り箸を使って書きました。
(念のためおことわりしておきますが、縄文時代には文字は存在していません。あくまでも私が創造したイメージになります)

「喜」  甲骨文字

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 太鼓の形である「こ」(右の文字)に、祝詞を入れる器の「さい」をそえた形です。

 また出てきました「さい」、第4回の春分編で説明しましたね。
  (もう一度「さい」の説明を見るにはこちらを)

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 神に祈るとき、太鼓を打ちながら歌い舞ってお祭りをすると神は喜ばれるので、「喜」はもともと神を楽しませ喜ばせるために太鼓を打って祈るの意味でした。後になって人の心を表す「よろこぶ、たのしむ」の意味となったようです。

 作品は、同じく2011年の個展「ムラマツリ」のものです。

 「ムラマツリ」で思い出すのは、子供の頃によく歌ったこの曲でした。『村の鎮守の神様の 今日はめでたい御祭日 ドンドン ヒャララ ドンヒャララ ドンドン ヒャララ ドンヒャララ 朝から聞こえる笛太鼓』
 太鼓の音を聞いてワクワク嬉しく、楽しくなるのは、神様だけではないようです。晴れ渡った真っ青な秋空に、祭囃子が響いてきませんか・・・

 「真っ青な秋空」といえば、秋の季節のすばらしさについて語るとき、「天高く馬肥ゆる秋」というフレーズがぴったりですね。すっかり定着していて手紙の冒頭に書いたりします。ところが、本来の意味は、単に季節を謳歌しているのではなく、「秋も深まり空が高く澄んでくる季節になると、夏草をたくさん食べた馬が肥えて元気になる。そうするとまた北方の騎馬民族(匈奴)が大勢で略奪にやってくるので用心しなさい」と警戒をよびかける故事なのだそうです。

 平和な国にいる私たち、秋晴れの真っ青な空に魅せられ、季節感にどっぷりと浸ることができるのも平和だからこそなのかもしれません。


 秋の味覚に取り付かれて食欲が止まらない人も、メタボ要警戒ですね・・・
次回は10月24日 「霜降」の頃に・・・