2015年4月5日
「清明」とは、すべてものが清らかで生き生きとするころのこと。若葉が萌え、花が咲き、鳥が歌い舞う、生命が輝く・・・ 明るく清々しい季節の到来です。
今回の文字は、陽気に誘われて散策すると必ず目に飛び込んでくる日本人の大好きなもの。また、この時期そこかしこに息吹を感じさせられるもの・・・です。
「桜」 甲骨文字
もとの字は「櫻」、左から「木」「貝」「貝」そして下に「女」という文字で作られています。
「桜」は中国ではもと桜桃(ゆすらうめ)をいう語だったそうです。日本ではまさしく、今満開のさくらを指します。
右部の「嬰」は女子が首飾りとして貝を通した紐をかけている様子をあらわしています。貝はおそらく子安貝です。首飾りの玉(貝)のような実がなる木という解釈が多いようですが、子安貝は性的象徴の意味を持ち、生命の象徴でしたので桜桃(ゆすらうめ)の実がたくさんなるようにとの願いもこめられていたのかもしれませんね。
それにしても、奇しくも貝の字形が「さくら」の花びらの形に見えませんか?
ちなみに、子安貝とはタカラガイ科の巻貝の俗称で、出産のときに女性がこの貝を握っていきめば安産するという俗信があります。
さくらは日本の春を象徴する花です。咲き始める前には今日か明日かとなんとなくそわそわして開花宣言が気になりますし、咲けば咲いたで花散らしの雨が降りはしないかと気をもみます。
「世の中に絶えて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし」と在原業平も詠んでいますし、日本人は古から桜に特別な思いを寄せてきたようです。
古代から農民たちは桜が咲けば、種籾を蒔く準備をし、また咲き方で豊作か否かを占ったそうです。花見の風習も彼らから始まったといわれています。そのDNAが今日まで脈々と受け継がれているのでしょう。
桜前線は日ごとに北上していきます。数年ほど前、5月のGW過ぎに岩手県遠野を旅したことがありました。この年は4月に西の方で咲いた後、急に寒さが戻り桜前線が暫く停滞しました。訪れたときは、折しも遠野の桜は満開で、幸いなことにこの年は2度も桜を満喫できた思い出があります。
「命」 甲骨文字
「令」と「口」とを組み合わせた形。「令」は深い儀礼用の帽子をかぶりひざまずいて、神のお告げを受ける人の形です。「口」は前回も説明した「さい」で、神への祈りの文である祝詞を入れる器の形です。
神に祝詞を唱えて祈り、神の啓示(お告げ)として与えられるものを「命」といい、それは「神のお告げ、おおせ、いいつけ」の意味となります。生命のように「いのち」の意味に用いるのは、人のいのちは天から与えられたもの、神のおおせであると考えられたからです。
(ここから前回の「さい」の説明頁に戻れます、でも戻ってきてくださいね)
この作品の「いのち」は「令」の文字です。甲骨文字の時代には、まだ「命」の「口(さい)」が書かれていませんでした。
作品はネイティブフルート奏者とコラボレーションをした際のもので、「ニングルの森」(倉本聰著)にインスピレーションを得て創りました。
ニングルとは北海道の森に僅かに生存する先住民族、アイヌ語でニンは縮む、クルは人の意味で、すなわち小さな人間の意味になります。本の中では十数センチの小さなヒト、妖精ではありません。
物語は「人間のことを少ししゃべろう」と言うニングルの長の一言から始まります。「太陽」「お札」「土地」「時計」・・・人間にとってとても身近で大事なものが各章のテーマになっており、ニングルの目を通しての人間が描かれています。
「夜起きとって何をするンだ!人間はそんなにやることがあるのか」「必死で貯めた大好物のお札は何の為?火をおこして明るく暖かくするため?」「土地に持ち主がいるのか?」「太陽や月より、この時計ちゅうもンの泣き声に全部を縛られて生とるものらしい」とニングルたちの純粋な問いやつぶやきは、便利であればよい、形あるもののみに目を向け物質的な豊かさを求める社会のあり方、自然、そして生き方までも見つめなおさせてくれます。
テーマにした「いのち」の文字、ひざまずいている甲骨文字の造形が物語のニングルの姿に重なりました。
木の断面を活かした、まるでニングルの棲家のような額を準備し、その洞(うろ)でニングルがひざまずき祈り、人間に警鐘を鳴らしているかのような姿に創りました。
その下方には 『ニングルがうたたねしている小さな洞の中の大きな宇宙時間』 と結んでいます。
倉本聰氏は、このお話を童話ととるかリアルなものと考えるか読者の自由です・・・と書いていらっしゃいますが、わたくしはリアルなものと捉えています。少なくとも小さい子供には大人に見えないものが見えたり、聞こえるはずのないものが聞こえたり、ニングルに近い次元の感性が、まだ退化せずに備わっているように思えるのです。
次回は4月20日「穀雨」の頃に。
桜前線はどのあたりまで北上しているのでしょうね。