古代文字って?▼ 第6回 穀雨

2015年4月20日

 「穀雨」とはたくさんの穀物を潤す春の雨が降るころのことです。春の中の最後の節気です。

 

 春の雨は作物にとって恵みの雨です。雨の名前の本によると、この時期にはさまざまな雨の名前があるようです。
 草木に柔らかく降りそそぐ、烟(けぶ)るような春の雨は「甘雨(かんう)」、生きとし生けるものに新たな生命力を与えるということだろうか「万物生(ばんぶつしょう)」、菜の花の頃に花が咲くのを促すようにしとしとと降り続く「催花雨(さいかう)」、花曇りのころ春の花に養分を与えるかのように降る「養花雨(ようかう)」、こまかく烟るように降り続く三・四月頃の長雨を「春霖(しゅんりん)」などなど、雨の多いこの時期は呼び名も多彩です。

 さて、今回取り上げる文字は「雨」・・・ではなく、それから連想される「雷」の文字です。もう20年以上前になりますが、「春雷」という平岩弓枝さん原作の新春テレビドラマがありました。それは悲しくも美しい物語で、情趣あふれるタイトルの響きとともにいまだに心を捉えて放しません。これも「雷」の文字を選んだ理由のひとつかもしれません。

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「雷」 金 文

 もとの字は、「靁」です。後に省略されて「雷」の形になったようです。下の「畾」は稲妻が放射する形をあらわしています。天体現象を示す「雨」をつけて「雷」とし、「かみなり・いかずち」の意味となります。

 作品は、2007年の酒蔵で行った個展のものです。この年の夏は雷が多発し稲妻が走り雷鳴が轟きわたるのをガラス越しにながめていた時にひらめいて創作しました(この作品は春雷ではなく、夏の雷を題材にしていますが)。

 現代よりも科学的な判断材料に乏しかった古代の人々ですが、日々観察することによって雷の多い年は豊作になることを知っていたのです。
 現代では、雷の放電は大気の窒素と酸素に化学反応を起こさせ、窒素系の肥料を作り、それが雨に溶けて地面にしみこむから豊作になる、という科学的な説明が出来ますが、古代の人々は、いなずまが地上の稲を妊娠させると考えていたようです。いなずまは、稲の旦那様だったのですね。
 広辞苑にも『「いなずま」は稲の夫(つま)の意。稲の結実の時期に多いところから、雷によって稲が実るとされた。いなつるび。』と掲載されています。

 作品では雷の多い年は豊作になるとの言い伝えをふまえ、稲夫(いなづま)と稲たちとのロマンチックな出会いを重ねて、古代の人々の豊作へのひたむきな祈りを書いています。作品の上方には 『雷鳴よ轟け 稲夫よ走れ』 、下方には 『ムラ一面の稲穂たちを実らせよ』 と配しました。

 それにしても、古代人にとって雷は不思議でさぞかし恐ろしい現象だったことでしょう。

 また、この時期にふと浮かんでくる一節は「春眠暁を覚えず」。孟浩然(中国・唐代の詩人)の五言絶句「春暁」の第一句目です。たしか高校の漢文の授業で初めて暗記した漢詩だったように思います。

 厳しい寒さの冬が終わり暖かくおだやかな季節が訪れ、ぽかぽか陽気のこの頃は確かに眠たくなりますね。そこで二つ目は「眠」の文字です。

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「命」 甲骨文字

 

 「目」と「民」からできています。右部の「民」は目を刺している形、瞳を突き刺して視力を失わせることを表しています。そのようにして視力を失った人を「民」といい、神への奉仕者とされました。

 その後に現在の「たみ」の意味となります。その視力を失った人の目は、眠っている状態に似ているので「眠」は「ねむる・ねる・ねむい」の意味に用いることとなったそうです。

  同じく「臣」の文字も瞳を傷つけ視力を失った神への奉仕者のことです。

 やさしい春ののどかな眠りにはほど遠い残忍なお話ですね。


 また、この他にも敵の耳を切り取る形の「取」や異族の人の首を携え邪霊を祓い清めて進む「道」など戦や呪力に関する怖い文字がたくさんあります。また機会があれば詳しく説明したいと思います。


 やがて八十八夜が訪れ、夏のはじまりです。ゆっくりと新茶を味わいながら爽やかな初夏の風を感じていたいです。
では、次回は5月6日「立夏」の頃に・・・